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受け継がれる浜作主人の血脈受け継がれる浜作主人の血脈

受け継がれる浜作主人の血脈
受け継がれる浜作主人の血脈
浜作はじめて物語
浜作の名の由来
浜作は昭和二年(1927年)、森川栄によって祇園・冨永町で創業されました。 創業者である栄は富山に生まれ、わずか九歳で当時大阪で一、二位を争う魚屋「魚福」に奉公、そこで魚の目利きと捌き方を仕込まれ、12歳で料理名人として知られた樽本作次郎に入門します。ここで義兄弟の契りを結ぶ塩見安三氏※と出会いました。(※銀座本店浜作創業者)若い二人は親方である作次郎の元、日本一との呼び名が高い「播半」や「つる家」の調理場を預かり、当時の大学教授の月給の10倍近くの待遇を受けるほどの辣腕ぶりだったようです。やがて、塩見氏が大阪は新町に「浜作」を開店、親方の作次郎の住む「北浜」の「浜」と名前の「作」をあやかって、ここに「浜作」の名が生まれます。そうして昭和二年九月一日、栄は塩見氏の勧めもあって京都は祇園冨永町に「浜作」を開店、塩見氏もまた昭和三年に東京銀座へ進出し「銀座本店浜作」を開きます。

包丁方としての生き様
板前割烹の誕生

割烹とはお客様のご注文に対して素早く新鮮な材料を調理して出すことです。割は割(さ)くことを意味し、烹とは烹(に)ることで、大阪で名を馳せた二人のそれぞれの役割もまた包丁方と煮方とで役割を担っていました。包丁方であった栄は祇園出店に際し、その卓越した包丁捌きを料理とともに楽しんでもらうため、板場を囲むようにカウンター席をしつらえ、これが関西の財界人や新しいもの好きの文士、役者や映画監督など、錚々たる顔ぶれから大人気を博することになります。このいまで言われるところの「オープンキッチンカウンター」をはじめて取り入れたのが栄であり、今日の板前割烹の言葉の語源となりました。

浜作の栄えゆるを見れば世の海に
不景気の風の吹くとしも思えず
坪内逍遥

東西浜作の大繁盛ぶりを詠んだこの歌の通り、お店には連日連夜長蛇の列ができました。その多士済々ぶりは財界人はもとより、「恩讐の彼方に」の作品で名高い文藝春秋創刊の菊池寛や、岩波書店創業者の岩波茂雄、文豪谷崎潤一郎やノーベル賞作家川端康成など、数多くの文士に愛され、仏文学者の桑原武夫や物理学の湯川秀樹など、京都学派でしられる学界人からの贔屓も受けます。豪放磊落で気骨ある栄はそうした歴々の人物の向こうにはって、昭和46年まで板場に立ちました。

二代目の才覚
多くの逸話を生んだ初代栄が亡くなり、次男である武が浜作を継ぎます。武は二代目として板場に立ちながらも、当時洋食が当たり前だったホテルに日本初の和食堂として出店し、和の朝食を大ヒットさせ、総合和食堂「花桐」をプロデュースし、いまのホテルの和食堂のスタイルを作るなど、料理の枠に収まらない才能を発揮します。他にも、初めてデパ地下に惣菜コーナーを設けたり、あのポール=ボギューズとはじめて和洋折衷のコラボを行なったのも武でした。

古都乃味 日本乃味 浜作
武はそうした才覚を発揮しながらも、本業である板前割烹の美学を磨くことを怠らず、ご贔屓客のひとりである川端康成より「古都乃味 日本乃味 浜作」と筆を揮われるほど評されていました。それは「板前」というお客様との掛け合いによる割烹ならではのおもてなし精神を大切にした武ならではの果報であったでしょう。その姿勢はやがて、昭和天皇のお食事を謹製させていただく栄誉にも浴すに至ります。

平成三年
二代目武が平成三年、58歳で急逝、三代目裕之は28歳にして浜作を継ぎます。ですが、そこにあったのはバブル期による莫大な相続税の支払いや、各所における新店舗の出店や移店の監督など、多岐にわたる難事の処理でした。実に、二百人を超える従業員と千人を超える系流の板前トップとして諸事に忙殺される毎日の中、裕之がさらに自身に課したのが料理教室でした。若主人として武の元で板場に立っていたもののまだ修業の身であった裕之は浜作の定番を身につけるため、板前割烹の真髄である調理のプロセスをあえて見せることで自らを鍛えました。その料理教室もいつしか30年目を迎え、通算回数は2800回を超え、延べ3万人を超える名物料理教室になります。 気がつけばやがて、三代目裕之の贔屓客は初代と二代目の数を超え、上皇陛下へお食事を謹製すること三度、その卓越した技量は京料理界最年少で「現代の名工」として指定、正当なる日本料理の継承者として評されるに至りました。また、学生時代より没頭している歌舞伎をはじめ、オペラ・文学・美術から伝統芸能など、博覧強記の知識を魅せるとともに、店舗の意匠を手掛けるなど、その割烹の技は祖父に匹敵し、才覚は父に勝るとも劣らない浜作三代目主人となりました。
令和三年
大阪と京都と所は違えど、浜作は新本店を京都の「新町」に据えました。ゆかりある「新町」で創業百年目へと向かいます。
浜作はじめて物語
沿革
HISTORY
1927年 9月

京都祇園にて浜作開業。

板前割烹の浜作として著名人から親しまれる
1962年 10月
「株式会社 浜作」設立。
1966年 9月

京都・都ホテルに「和食堂浜作」を出店。

当時、大ホテル初めての和食堂進出。
1969年 9月
東京赤坂東急プラザに浜作赤坂店を開店。
1970年 2月
初代森川栄死去。二代目社長森川武就任。
1973年 10月
千葉県柏市そごう百貨店名店街に「浜作柏店」を開店。
1975年 3月
京都新都ホテルに「和食堂八条」開店。
1984年 1月
八坂神社鳥居前下河原に「鶴庵」開店。命名は裏千家御家元
1988年 3月
新都ホテル新館オープン。
1991年 9月
二代目森川武死去。三代目として現社長森川裕之就任。
1993年 9月
祇園本店にてお料理教室開校。
2000年 4月
神戸六甲にて浜作お料理教室神戸教室開校。
2003年 3月
祇園新本店オープン。
2021年 7月
新町通り六角で、移転新装開店。
浜作はじめて物語
会社概要
COMPANY
会社商号:
株式会社 浜作(はまさく)
所在地:
〒604-8212
京都市中京区新町通六角下ル六角町360
創業:
1927年(昭和2年)
代表者:
森川裕之